2009年11月14日

じぃ

じぃ(私の父)が亡くなって10日、気持ちも仕事も少し落ち着いてきましたので、なぎがふと『じぃ』の事を思い出したくなった時のために、どんな存在でどんな想いで接し過ごしてきたのかを、書き留めさせていただきたいと思います。

  じぃへのお手紙

じぃが最初に倒れたのは、もう15年も前のこと。
最初は脳血栓、数年後には脳溢血、さらに数年後には脳梗塞でと度々倒れては救急車で運ばれ、意識が無くなる状態まで落ちたこともあったんだよ。
その都度、体に不自由さは残りながらも、家に帰ってきてくれたんだ〜。
だけど糖尿病を患っていていたから、いくつもの合併症を起こし、人工透析をしなければいけない体となってしまい、仕事を辞め自宅での長い療養生活が始まったのね。

だから、なぎが生まれた時はもちろん、成長していく姿を見守ってくれていたじぃは、布団で寝ているかコタツに座ってテレビを見ている時間がほとんどだったよね。
それでもなぎにとっては、大好きで大事で最高の遊び相手だったんんだよね(^^)

朝起きて、最初に挨拶を交わすのは、もちろん「じぃ」。
1階に降り、「じぃ、おはよう。」と声をかけ、じぃの座っているコタツの目の前に座り込み、私が朝食を運んでくるのを待ちながら、会話をするときもあれば、しないときもある。そんなじぃの目の前がなぎの特等席。

だけどじぃは、週2回デイサービスを利用し、週3回透析を受ける病院へ通院しているので、うっかり寝坊すれば、 もうすでにじぃの姿がそこにはなくなっていて、そうなると一気になぎの食事ペースが落ちちゃうから困ったよ(^^;

逆に早く起きた日は、じぃのお見送りをするのがなぎのお役目。
足が不自由なじぃが待っている間座るための椅子を、なぎが運んで、お迎えの車が来るまで横に並んで待っていたんだよね。

なぎが先に出る時はもちろん「じぃ、行ってきま〜す!」と大きな声で 必ず声をかけていたんだね。

 

保育園から帰ってきて、かぁが帰ってくるまでの間、ばぁが夕食の支度やお庭仕事で忙しいときは、 じぃが遊び相手になってくれたよね。
キャッチボールの相手をしてくれる事も鬼ごっこの相手をしてくれるような事もなかったけど、 カルタやすごろくの相手は、じぃが一番!!

「じぃ、スゴロクしよ〜。」「じぃ〜、カルタしよう。」

「おう。もってこい。」

なぁんて、仲良く始めたくせに、お互い負けず嫌いだから、言い争ったり、手を叩いたり(>。<)
それでも最終的には、じぃが譲ってくれたんだよね。

だけどテレビのチャンネル争いは、譲ってくれないことが多かったよね〜。
大泣きして、私のところにくるから「そんなに見たいなら別のテレビで見ればよいでしょ。」と言っても、答えは決まって「ヤダ!!」
見たい番組と、じぃの隣、どちらも譲れないから、じぃのいる部屋で見たい番組を見なければ気がすまなかったんだよね(^^)

そう、じぃは、決して「優しい人」とは言えなかったね。
厳しくて、口うるさくて、人を見下すようなところがあって・・・、
だからかぁは、小さい頃からじぃが大嫌いだった。
大人になって、ここまで育ててくれたことへの感謝の気持ちや、尊敬する気持ちが芽生えても、やっぱりあんまりうまのあう間ではなかったんだよ。

そんな私とちがって、なぎはどんなに怒られたって、泣かされたって、じぃが好きな気持ちは変わらなかったね。

寝る前には、どんなに眠くたって、一度2階に上がった後だって、じぃの顔見て「おやすみなさい。」
をかかさなかったね。

かぁのおじいちゃんは、朝起きたら亡くなっていたし、おばあちゃんは、仕事から帰ってくる前に倒れ意識が無くなり、3年後になくなった時、私は最後に話したのがいつだったのか、ずっと悩み、目の前にある離れに住んでいたというのに、その日が最後でなかったことをとっても後悔していたから、なぎにはずっと言い続けてきたんだよね。

「なぎたん、明日はもう挨拶が出来ないかもしれないから、ちゃんと今日しておきなさい。」と・・・。

でもきっと、なぎはそう言われたからじゃなくて、大好きなじぃに挨拶しないで寝るなんてこと出来なかったんだよね(^^)

ブドリさんがプレゼントしてくれた絵本にも書いてあっがんだよね。
大好きな気持ちは思っているだけでなく、言葉に出して伝え、大切に思っている気持ちは行動にしてあらわさなければいけないことが。

「じぃ、なぎたんは、じぃが死んじゃったら寂しいから、困るから、タバコはやめてね。」
「じぃ、じぃの体に、生の果物は良くないんだって。だから食べちゃダメなんだよ。」
「じぃ、なぎたんが小学生になるまで生きていてね。だけど小学生なるまで生きていられたら、もっともっと長生きしてね。」
「じぃ、なぎたんのあめあげるよ。アイス食べる?」
「じぃ、ちゃんとお薬飲まなきゃダメだよ。なぎたんが飲ませてあげるよ。」
「じぃ、はいこれどうぞ。」「じぃ・・・、じぃ・・・。」

怒られたり怒ったり、喧嘩したり言い合ったりすることがあってもやっぱり大好きなじぃ。
時にはいたずらしたり、意地悪したりもするけれど、それでも誰よりもじぃに優しく接してきたのは、なぎだったね。

今年の夏以降、急に食欲が落ち、見る見る間に体力がなくなり、動けなくなっていったじぃ。
そんなじぃに元気になってほしくって、また遊んで欲しくって、たくさんの言葉をかけたよね。
じぃもなぎのことが大好きだから、ばぁやおばちゃんやかぁが薬を飲ませようとしても食事を食べさせようとしても「要らない。」と言っていたけど、なぎがお願いすると、頑張って食べて、薬も飲んでくれたんだよ。

もう、本当に辛くなって声を出すのも大変だった時だって、なぎがふすまを開けて「おはよう」の声をかければ、「おぅ」とにっこり笑顔を見せてくれていたんだよね。

そんな姿を見ていたら、かぁだって、出来ることはしなきゃと思って、嚥下が辛そうだったから背中にまわって支えてあげて、介助してあげたら飲み込むことが出来た時、とっても嬉しかったんだよ。
食の専門家の免許を取らせてくれたじぃに、恩返しできる事がわかったんだもん。
だから、翌日からも、食事のサポートにつこうと思っていたのに・・・、
その夜、なぎが深い眠りの中にいるとき、意識がなくなり救急車で運ばれたんだよ。
それが10月26日月曜日の事・・・。

新しい梗塞が出来たのではなく、今までは徐々につまりつつあっても、流す元気があったけど、ここにきてなくなってしまったからなんだって。
今までずっとずっと頑張ってきて、もう限界すぎていたからなんだって。

きっとなぎが、毎日毎日成長している姿を見ていたら、じぃも頑張らずにいられなかったんだろうね。
これから先のなぎの成長も見ていたかったんだろうね。
じぃは最後の最後まで、なぎたんのお願いを聞いて頑張ってくれていたんだね。


その後、お見舞いに行けば、しっかり目を開けて見せてくれたり、見慣れた大あくびを見せてくれていたから、そのまま意識が戻ることは無いといわれても、じぃの暖かい手や顔をもう少しの間感じていられる事にホッとしていたんだよね。

だから、遺漏の手術の日程を決め、これから長くなってもすぐに会いにいけるような転院先の病院を探していたのに・・・。

11月5日 朝 なぎが37.6分の熱を出しました。保育園ではインフルエンザが流行っていたので、念のためお休みして病院に行く支度をしていたら、一度仕事に出たバァが、慌てて帰ってきたね。

「じぃの様態が急変したから、急いで病院に来てくれって電話があって・・・。」
と言うから、折り返しじぃが入院している病院に電話したら、「様態が急変したけど、急ぐほどではない。」と言われたので、とりあえず、インフルエンザだったらじぃのお見舞いにもいけないからと、先に掛かりつけの病院に行って診てもらったらったんだよね。

結果は陰性だったから安心して用事を済ませていると、バァと一緒に一足先にじぃの病院に向かっていたおばちゃんから「急いで病院に来て」との電話がはいったので、その足で病院へ向かたね。

隣町まできていたので、病院に着くまで30分。どうにかじぃの命のある内に・・・、との願いもむなしく、着いた時には、息を引き取った後だったんだよ・・・。

その後、看護婦さんが支度をしてくれて、目の前に姿を見せてくれたじぃは、とっても穏やかな優しい顔で、「かっこいい」と思えるほど、良い男の顔で永い眠りについていたよ。

「なぎたん、じぃ死んじゃったんだよ。でもまだやわらかいよ。手もちょっと暖かいかな。今のうちにいっぱい触って、お別れしようね。」

「本当だ、頭すべすべだね。耳たぶ柔らかいね。
 じぃ、じぃ、いっぱい遊んでくれてありがとうね。じぃ、ありがとう。じぃ、バイバイ。」

なぁんてなぎがじぃにかける言葉に、大人たちは涙を流さずにいられなかったよ。
きっとじぃも、なぎに最後に会いたくて、なぎの体にちょっといたずらをしに来たのかもね。
じぃにお別れしたら、もう熱はなくなっていたんだもん。朝発熱して、昼には熱が下がるなんて、じぃが呼んでいたとしか思えないよ。

亡くなってから、葬儀の日まで、間が開く事になったのも、じぃがもう少しなぎたんのそばにいたかったからかもしれないね。
なぎもそう思っていたのかな。いや、なぎも大好きなじぃの側に、ずっとずっといたかったんだよね。

告別式のその日まで、幾度と無く顔や頭を触り、お線香をあげ、気付けばじぃの寝ているお部屋にいたもんね。
最後のお別れをするその瞬間まで、何度も何度もじぃの顔を見ていたね。

そんななぎと一緒にじぃの顔を見ていたら、不思議不思議、じぃの顔がどんどん穏やかな優しい顔になっていったんだよ。
きっと体が軽くなって嬉しいのかもね。ちょっと離れた所からなぎを見て笑いかけているのかもね。
うん、間違いないよ!!じぃはなぎが大好きだったもん。いや今もきっと大好きだから、遠い遠いお空の上から、時にはなぎの隣にそっと寄り添いながら、いつだってなぎを見ているよ。
なぎを支えてくれているよ。

だからなぎも、毎日じぃに話しかけようね。じぃのそばで遊ぼうね。じぃの想い出を語ろうね。
これからもずっと、ずっと、なぎや家族、親族、お友達、じぃのことが大好きだった皆みんなの心の中にずっとずっと生き続けているからね(^^)

なぎが大好きだたじぃを、ずっとずっと大好きでいようね。そしてたくさんのお礼を言おうね。

「じぃ、ありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。支えてくれてありがとう。たくさんのアドバイスをありがとう。おかげで今、こうしてしあわせな人生をおくることが出来ています。
お父さん、64年間お疲れ様でした。そしてありがとう。 大好きです。」

 

長い長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
来週は、途中になっていたお祭りの記事と、新たに見つけたなぎの宝物の数々を紹介していきますので、
またお付き合い、よろしくお願いします(^^)
posted by なぎママ at 08:08| Comment(18) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いろいろな思いと同時に涙がこみ上げてきました。
じぃが最初に倒れてから15年ですか。なぎママさん達には誰にも言えないどれだけの苦労があったことでしょう。じぃももどかしい思いもあったことでしょうね。それでも、しっかりと最後まで見守ってもらえたことにじぃは感謝していることでしょう。
 なぎ君という宝物のおかげで、じぃもどれだけ楽しい時間を過ごすことができたかが、亡くなられたお顔の様子に表れていますね。
 なぎ君も、たくさんたくさん、じぃとの思い出を刻み込んでいたんですね。5年の間にとても大事なことをいっぱい学びましたよね。その一つ一つはこれからの人生の中でなぎ君の優しさ・強さのもとになっていくことでしょう。
じぃはこれからもなぎ君の中で生き続けるし、なぎ君をいつも見守ってくれてますよ。

いてくれるのといないのとでは全く違いますよね。
じぃが亡くなり、お葬式が終わり、いつもと違う生活がはじまると、大変だった世話も生活の一部だったことを実感し、何か物足りなさを感じることでしょう。
皆さんで今までのように力を合わせて少しずつペースを作って、元気出してくださいね。

親との関係になぎママさんも悩まれていたのですね。
今、私も真っ只中です。顔を合わせれば喧嘩です。
こちらが一歩引けばどうにかなるのでしょうが・・・
わかってはいるけど、なかなかかみ合わないんですよね。
生んでくれたことに感謝、育ててくれたことへの感謝、いろんなことに感謝なんですけど、いちばん身近な相手にはなかなか素直になれなくて。
身につまされる文章でした。
私もなぎ君の姿に学ばなきゃ、です。
Posted by ブドリ at 2009年11月14日 12:23
なぎ君、なぎママさん・・・こんにちは。
大好きだったじぃ・・・きっと、お空のららちゃんと一緒に遊んでくれていることでしょうね。
優しい気持ち・・・ここまで届いてきました。

Posted by 雪国もやし at 2009年11月14日 14:45
偶然ですねえ。私の父も64歳で逝きました。
急逝でした。

その日のお昼過ぎには歯医者さんへ行ってたんですもの。
心筋梗塞で20分だけ苦しんで、あっという間の別れでした。

それに比べたら、なぎママさん、お幸せですよ!!

毎日日記を書いていた人だったので、亡くなった日の日記が白いままなのが、長い間とても悲しかったです。
ここに何を書こうとしていたのかな・・・ってね。

<逝きし日の 日記のページ 白きまま>
Posted by 森のどんぐり屋 at 2009年11月14日 18:09
なぎママさん、こんばんは^^

今回の記事には涙・涙;;でした。
なぎくんがどんなにじぃを大切に思っていたのか…
そして、じぃがどんなになぎくんを大切に感じていたのか…
お互いがお互いを必要とし、かけがえのない存在だったことが強く伝わってきました^^

私は実家にいたころ、母親と上手くいかないことが多くてね、一切話をしない日が続いたり、口喧嘩もしょっちゅうで…
実家を出てもうすぐ15年。一人暮らしして、結婚して、自分が母になったあとから母親のありがたさに気付くことができました^^;
実の親だから反抗も反発もできたんだと思うし、今は自分の子供から将来同じようにされるかもしれないって覚悟もしてます^^;

なぎママさんのお父さんも、なぎママさんの気持ちはわかっていたと思いますよ^^
だって、じぃはこんなになぎくんを大好きだったんだから!!
これからもず〜っとじぃはみんなの心の中で生きていくんだね^^
Posted by ようこうママ at 2009年11月14日 22:30
人は二度生きるのだと聞いたことがあります。一度目は肉体を持って自分の人生を生き、二度目は残された人たちの思い出の中を生きるのだと。
今、お父様は、なぎママさんはじめご家族の皆様、そしてご生前ご縁の深かった皆様の記憶の中で、二度目の人生を始められたのだと思います。
先に逝った者が残してくれたものというのは、とても大切なものが多くありますよね。時間によってしか癒されない思いもあると思いますけれど、なぎママさんがお父様から受けられた愛情をしっかりと受け止めなおして、元気を出してくださいね。

なぎママさんのご家族の、優しさと、ぬくもりと、感謝と、そんな気持ちが伝わってきて、ぼく自身のエネルギーに変えさせてもらいました。ありがとうございます。
Posted by 僕は父親 at 2009年11月14日 22:48
なぎ君とじぃの深い繋がりをあらためて感じました。
お父様を思うなぎママさんの気持ちも。
じぃは空から家族みんなのことを見守ってくれますね。
Posted by タマ at 2009年11月15日 21:30
ブドリ様

優しい言葉の数々にとても心が温まりました。ありがとうございます。
大切な方を亡くされたブドリさんの想いと重なるものがあるでしょうか・・・。
普段は、平常心を保てていても、思い出すと涙を流さずにはいられないものですね。

たとえ上手くいっていなかった存在でも、亡くなったときの喪失感は大きいものです。
しかし亡くなる前にそばにいられたことで、心が楽でいられるように思います。

ブドリさんとお父様、男同士2人で家を守っていくと言う事は、安易なことではないのでしょうね。
親子なのに、いえ、親子だからこそでしょうか・・・。

私は、長い長い父の闘病生活のなかで、父に寄り添っていたのはほんの数日。
ほとんどは母にまかせっきりで、家庭をかえりみることもなく過ごしてきました。
なので、父により添えなかった分、父の代わりにとは行かないと思いますが、母を支え母とともに、父の愛したこの家を守っていきたいと思います。
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 05:32
雪国もやし様

ありがとうございます。

そうですね(^^)ララちゃんと、そしてなぎ同様、とっても可愛がっていた飼い猫「ミャー」が先に行っているので、仲良く遊んでいますよね。

仏壇に手を合わせ、それぞれにお願いしておかなくっちゃですね(^^)
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 05:49
森のどんぐり屋様

森のどんぐり屋さんのお父様も64歳と言う若さだったのですね・・・。
今年の4月、私の叔父(父の弟)が、やはり倒れてあっという間になくなってしまったこともあり、「しっかりお別れを告げられる期間があったことは幸せだよね」と母とも話していました。
その間、悔いの残らないように接してきたつもりですから。。。
それでも後から後から、もう少しこうしておいてあげればよかったとこみ上げてくるものですね。

今は、なぎの七五三お写真を見ながら、父に見せてあげられなかったことが残念でなりません・・・。
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 06:02
ようこうママ様

ありがとうございます。

職場で利用者さんの親と
「私はたいして涙を流さないような親不孝物だけど、子供がじぃを大好きだったので、寂しがっている様子を見ていると涙が出てくる。」
と話したら、ようこうママさんと同じ様に、
「孫が祖父を大好きで大事にしているなんて、親が大事に思っている姿を見ているからよ。」
って声をかけてくださったことがとっても嬉しくって嬉しくって。
ようこうママさんにも同じ様に想っていただけて、とっても嬉しいです。

親のありがたみや大切さって、子供を産み育てていく中で、どんどん大きくなっていきますよね。
どんなに間があいていたって、血のつながりは消えないもの。
これからたっぷり親孝行したいと思います。
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 06:31
なぎママのブログを読んで、お父様が亡くなった話を読み、
言葉になりませんでした。
なぎ君の気持ちと、私の小さい頃の記憶とダブり、涙が止まりませんでした。
私の大好きなおじいちゃんが84歳で一昨年亡くなり、
入院するたびに涙ばかり流していました。
「じぃ、なぎたんが小学生になるまで生きていてね。だけど小学生なるまで生きていられたら、もっともっと長生きしてね。」
の言葉。
私も、じいちゃんによく言っていました。
結局、私が27の時に逝ってしまいましたが、おそらく
私が30になっても、40になっても長生きしてほしいと願っていたと思います。
これからもなぎ君の成長をお空から見守っていてくれると信じています。
なぎママもゆっくり休んでくださいね^^

Posted by さぶちゃん at 2009年11月16日 11:36
僕は父親様

こちらこそありがとうございます。
優しい言葉の数々に、心が癒され、元気になりつつあります。

そうですね、じぃは、皆の心の中に生きていますね。
悔いる気持ちや、残念に想う事は、心の中に生きている証拠でもありますものね。

この気持ちをいつまでも大事に大切にし、長生きしてもらいたいと思います。
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 12:40
タマ様

ありがとうございます。
私はそれほど悲しくない。落ち込んでいない。こんなに笑ってられる。
と亡くなってからこの記事を書くまでずっとそう思っていたのですが、なぎとの関わりを通して見直してみれば、父に対しての想いが強かった事を思い知らされました。

なぎの成長を楽しみにしていたじぃ。
きっといつでも見守ってくれていますよね(^^)
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 12:51
さぶちゃん様

ありがとうございます。
大切で大好きな人が亡くなるのは、辛く寂しいものですね。
永遠の命なんて無いのに、そうであるように思っていたり、願ってみたり・・・、
でもいつかは分かれなければいけないときが来る。
そのときに後悔しないようにしなければならないなぁ〜、とあらためて思い知らされてます。

さぶちゃんのおじい様も幸せですね!!こんなに思われて(^^)
私もなぎも、じぃがお空で見守っていてくれると信じ、心の中に想い続けていたいと思います。
Posted by なぎママ at 2009年11月16日 12:55
あの世へ行くとね、下界(人間の暮らしている所)はとてもよく見渡せると思うのです!

後に残った者たちの暮らしを、いつでも見守ってくれているとも思います。

だから、いろんな出来事もぜ〜んぶお見通しですよ、きっと!!

Posted by 森のどんぐり屋 at 2009年11月16日 16:06
この記事を読んでいて気づきました・・・私、今まで何人か別の方が登場したお話をジィと混同してたんだって。ほんとに失礼しました!

今日あらためて、ジィがどんな方で、なぎ君やなぎママさんとどんなふうに関わっていたかをちゃんと理解しました。
おじいちゃんが孫をかわいがり孫がおじいちゃんに甘える、それだけじゃない関係がジィとなぎ君の間にはあったんですね。なぎ君がジィに言っていた言葉、こんなこと言われたら嬉しいですよね〜^^ とてもいい関係!

天国に行かれたお父様も、なぎママさんファミリーも、これからも皆幸せに過ごせますように。
Posted by kei at 2009年11月17日 00:58
森のどんぐり屋様

ありがとうございます(^^)
なんだかとっても気が楽になりました♪♪
いや、でも、あんな悪口やこんな行動もお見通し・・・(>。<)
なぁんてね(^^)そんな会話も普段通り、笑って聞いていてくれるかな〜♪
Posted by なぎママ at 2009年11月17日 18:36
kei様

とんでもないです(^^)
たまにちらりと登場する程度ですし、登場させていた時にも、体が悪いような事はあまり書いてませんでしたから、間違えてないと思いますよ〜。

そう、じぃとなぎの関係は、祖父と孫の関係とは違ったように思います(^^;
まるで友達のような、兄弟のような、なんでしょうね〜、2人しかわからない世界もありました(^^)
なのでその想い出が、ずっとずっと残ってくれると嬉しいです。

温かいお言葉ありがとうございます。
見守ってもらえてる「幸せ」、支えてもらっている「幸せ」をたっぷり感じながら、日々を過ごしています(^^)

Posted by なぎママ at 2009年11月17日 18:44
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